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東京高等裁判所 昭和26年(ネ)819号 判決 1954年1月29日

控訴人 被告 矢口宏志 代理人 田多井四郎治

被控訴人 原告 国 代表者法務大臣 犬養健

指定代理人法務事務官 板井俊雄 外二名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、当審において左記のとおり補足陳述し、又は主張の撤回をなした外、原判決が事実の欄に摘示したところと同一であるので、ここにこれを引用する。

第一、被控訴人の主張

(一)本件農地買収処分は、昭和二十三年六月十五日長野県北安曇郡会染村農地委員会の定めた農地買収計画によりなされたものであるところ、右買収計画に対しては、控訴人は何ら争訟手続をなすことなく、本件買収処分に対しても何ら争訟手続をなさなかつた。唯右買収計画に対して名宛人であつた控訴人の父矢口半次が同年六月二十三日同委員会に対し異議申立をなし、同年七月三日棄却決定がなされたので、同月二十二日長野県農地委員会に対し訴願をなし、同年八月十九日棄却の裁決がなされたが、同人はこれに対し、又本件買収処分に対しても何ら行政訴訟を提起しなかつた。従つて控訴人は行政行為の公定力の関係上もはや本件買収処分の効力を争いえないものである。

(二)本件一連の農地買収手続はすべて適法になされたものであつて、控訴人ら主張のように当然無効の行為ではなく、その職権濫用に関する主張事実はすべてこれを否認し、違憲の主張はこれを争う。又民法第九十条に該当する行為でもなく、詐欺罪を構成する行為でもない。但し本件農地買収手続がすべて自作農創設特別措置法及びこれが附属法令に基いてなされたこと、従つて買収農地の対価についても右法令により定められた基準によつたことは認める。

(三)民法第百七十七条による登記欠缺の抗弁(原判決摘示再抗弁の(一))はこれを撤回する。しかし本件買収計画樹立当時農地の登記名義人は矢口半次であつたので、会染村農地委員会が本件農地の所有者は矢口半次であるとなしたのは当然であつて、同委員会は故意に事実に反して右認定をなしたものでない。

第二、控訴人の主張

(一)控訴人主張の(一)の事実は認める。しかしながら本件一連の農地買収手続は当然無効の行為であつて、これにより被控訴人は本件農地の所有権を取得する由なく、控訴人は、本件農地の所有者として、行政行為の公定力にかかわりなく何時にても本件買収手続の効力を争いうるものである。まして本件買収手続はその目的たる本件農地の所有者でない矢口半次を名宛人としてなされたものであるから、その効力が控訴人に及ぶべきいわれはない。

(二)本件買収手続は、自作農創設特別措置法及びこれが附属法令に基いてなされたものなるところ、これら法令は、不在地主についての規定、遡及買収に関する規定、農地委員会の組織並びに決議方法に関する規定、買収農地の対価決定並びに支払に関する規定、その他売渡農地の価額に関する規定等、いちじるしく地主に不利にして小作人に有利なる規定多数を含み、全体として法の下に平等なるべき地主と小作人とを差別扱いするものであつて、憲法第十四条に反し無効であるばかりでなく、少くともその買収農地の対価に関する規定は買収を受くべき地主に対し到底完全な補償をなしたものということができず、憲法第二十九条に反し無効であつて、従つて、これら違憲の法令に基いてなされた本件買収手続は当然無効である。

(三)本件買収手続は、後記(四)のとおり会染村農地委員会が小作人らと共謀し、農地改革に便乗し控訴人から本件農地を取り上げることのみを目的としてその職権を濫用し政町を欺罔してなしたものであるから、ひとり民法第一条第九十条により無効であるばかりでなく、詐欺罪を構成する犯罪行為でもある。

(四)本件農地買収計画は、会染村農地委員会が小作人らと共謀し憲法第十二条に違反してほしいままにその職権を濫用してなした無効の行為であつて、従つて右買収計画により長野県知事のなした本件買収処分もまた無効である。その職権濫用の事実は左記事実によるも明白であつて、会染村農地委員会は、本件農地についてはこれを買収する理由のないことを知りつつ故意に農地買収に名をかりて控訴人から本件農地を取り上げんとはかつたものである。

(1)控訴人が昭和十四年一月十日その父矢口半次から本件農地を含む十一筆この反別合計一町四畝十三歩の農地の譲与を受けた事実は、会染村においては何人も争うことのできない公知の事実であつて、控訴人が昭和十七年応召し同二十一年一月復員するまでの間は矢口半次が控訴人に代つて右農地を管理していたのであるが、右管理にあつても厳に自己所有農地と区別し、小作台帳も別別に調製していたのである(乙第三、第四号証参照)。そして控訴人復員後は控訴人自らこれを管理し耕作していたのであつて、世帯も父半次と別にして姉とめ子とともに独立の生計を営み、昭和二十一年二月二十一日正式に分家届出を了した次第である。さればこそ、右事実を認めて、会染村長竹内寿太郎は、控訴人に対し、昭和二十一年大蔵省発行個人金融通帳(乙第二十七号証)及び家族員を二人とした醤油回数購入券(乙第二十八号証)を交付し、昭和二十一年度以後県民税村民税を賦課し、米穀売渡割当書を交付して米穀を供出せしめ、昭和二十三年度において控訴人の水田耕作面積を五反六畝なりとして水田調査費を分担せしめ、又会染村滝沢部落字滝沢南木戸総代矢口博隆は、昭和二十二年度分として父半次とは別に控訴人に対し耕地費木戸費を賦課支出せしめたのであるのにかかわらず、ひとり会染村農地委員会のみ右事実を否定し、かつ会染村滝南部落土地調査主任村山徳一の同委員会に提出した滝南部落居住の世帯主全般にわたる現況一般調査表その他の調査表を無視し何ら首肯するに足る根拠なきに右農地は依然として父半次の所有に属するものと認定して本件買収計画を樹立したのは、全く同委員会の職権濫用行為というのほかなく、同委員会及び長野県農地委員会は、所有権の帰属は別として、控訴人が昭和二十一年一月復員後引きつづき右農地を耕作している事実すら否定しているのである。

(2)会染村農地委員会及びその関係者は、ひとり本件のみならず控訴人及びその父半次に対し数多の違法不法の所為をなしているのであつて、このことは本件買収手続が控訴人から本件農地を取り上げることのみを目的とした職権濫用行為であることを物語るものである。すなわち、

(イ)会染村農地委員会は、控訴人の父矢口半次の所有にかかる会染村神田四三〇〇番地田一反三畝十一歩、同坂下前二九五〇番地田一反四畝七歩、同坂下前二九五一番地田六畝十五歩に対しても買収手続をなし、右買収手続は昭和二十年十一月二十三日現在における耕作者奈須野三代蔵、小林鶴吉の請求に基きなされたものであるところ、右奈須野三代蔵は会染村滝沢前四七三一番の二田四畝十三歩及び同所四七三一番の三田一反五畝二十七歩を、右小林鶴吉は会染村石原田四一四五番地田一反三畝十一歩を、いずれもかつてこれらの田を所有したことなき矢口半次から不法に取り上げられた旨、昭和二十二年三月二十四日会染村農地委員会に対し届け出てその審議方を求め(乙第十八号証の一、二参照)同委員会は、右届出に基き同年三月二十六日不法取上と認定し(乙第十三号証の一、二参照)、ついで奈須野三代蔵、小林鶴吉の請求により、右不法に取り上げたものとして前記坂下前二九五〇、二九五一の二筆(請求者奈須野三代蔵)及び神田四三〇〇の一筆(請求者小林鶴吉)につき買収計画を立て、縦覧期間を昭和二十二年五月三十日から同年六月九日までと定めたのであるが、同年五月三十日附同委員会長横山嘉一郎から矢口半次にあてた右買収計画の通知書(乙第十四号証)によれば、買収の目的たる農地は坂下前二九四九番地田一反四畝七歩、同所二九五〇番地田六畝十五歩、神田四三〇〇番地田一反三畝十一歩となつていて、坂下前の二筆については地番が誤記されているばかりでなく、右農地はいずれも矢口半次の居住する会染村地内に存するのにかかわらず不在地主に適用すべき自作農創設特別措置法第三条第一項第一号により買収計画を定めた旨の記載あり、しかも同委員会は右通知に先きだち同年五月二十二日これを承認し(乙第十五号証参照)右買収計画に対し矢口半次は異議申立期間内なる同年六月七日異議の申立をなしたにかかわらず(乙第十七号証参照)同委員会は同年十一月十四日なしたものとなし(甲第四号証参照)、かつ縦覧期間を同年二月二十六日から同年六月五日までであつたとなし異議申立期間経過後の申立であるとして同年十一月十八日これを却下し(乙第十六号証参照)たのであつて、その粗漏杜撰驚くに堪えさるものあり、只管矢口半次から農地を取り上ぐべく小作人らと共謀してなした違法の所為である。

(ロ)会染村農地委員会長横山嘉一郎は、昭和二十七年一月二十七日附書面を以て矢口半次の元小作人矢口金作、矢口宏佳、小林幹司、矢口春実、奈須野一政、矢口金一、村山万作らに対し寄附金名義を以つて本訴を含む控訴人並びに矢口半次を相手方とする訴訟の費用の分担納入を求め、訴訟費用の不足分は会染村の村費で賄う旨の通知(乙第二十四号証の一、二)を発している事実がある。

(ハ)矢口半次の小作人矢口春実は、和田茂を教唆し、和田茂は、右教唆に基き検察官に対し乙第一号証の一、二の譲与契約書の立会人和田政市の署名押印は自己においてほしいままになした旨虚偽の陳述をなしたが、後日その偽証なることが判明した。

(五)矢口半次が控訴人に対して譲与した農地につき登記手続を経由しなかつた事実は認める。矢口半次は控訴人が成年に達した後登記手続をなすつもりでいたところ、控訴人は昭和十七年応召出征し、昭和二十一年一月同人復員後は農地改革の関係上登記手続が困難になつたためで、止むを得ない事情に基くものである。

証拠として、被控訴代理人は、甲第一ないし第三号証、第四号証の一、二、第五、第六号証、第七号証の一、二、第八ないし第十八号証、第十九号証の一ないし三、第二十号証の一、二、第二十一、第二十二号証を提出し、乙等一号証の一、二第三、第四号証、第十五号証の成立は否認する。乙第五号証の一、二、第二十号証の一、二、第二十四号証の一、二第二十五号証の一ないし四、及び六、第三十五、第三十六号証の各一、二、第三十八号証の成立は知らない、その余の乙号各証の成立(乙第二十六号証については原本の存在及びその成立)を認める、とのべ、控訴代理人は、乙第一号証の一、二、第二ないし第四号証、第五号証の一、二、第六、第七号証、第八号証の一ないし三、第九号証、第十号証の一、二、第十一号証、第十二、第十三号証の各一、二、第十四ないし第十七号証、第十八号証の一、二、第十九号証、第二十、第二十一号証の各一、二、第二十三号証、第二十四号証の一、二、第二十五号証の一ないし六、第二十六号証(写)第二十七ないし第三十三号証、第三十四号証の一ないし三、第三十五、第三十六号証の各一、二、第三十七ないし第四十三号証を提出し、甲第二号証の成立は知らない、第五号証の成立は否認する。その余の甲号各証の成立を認め、甲第十一ないし第十三号証の各一部、及び甲第三号、第四号証の一、二、第八号証第十五号証を採用する、とのべた。

理由

控訴人が現に長野県北安曇郡会染村字滝沢六千四百八十四番地田一反三畝二十八歩(以下これを本件農地という)を占有耕作している事実は控訴人の認めるところであつて、被控訴人は、右農地は被控訴人の所有であつて控訴人の右占有は正権原に基かないものであるとなし、控訴人に対し所有権に基きこれが明渡を求めているものであるところ、控訴人は、右農地が被控訴人の所有であることを否認し、かえつて自己の所有であると主張しているので、まずこの点を審究する。

長野県北安曇郡会染村農地委員会が昭和二十三年六月十五日右農地を矢口半次の所有に属するものとして右農地につき自作農創設特別措置法第三条により買収の時期を同年十月二日と定めて買収計画を立て、右買収計画に基き長野県知事が同年同月十三日矢口半次に対し買収令書を交付して買収処分をなしたことは当事者間に争のないところであるので、他に特段の事由のない限り被控訴人は右買収処分により本件農地の所有権を取得したものというべく、右買収計画に対しては被控訴人主張のとおり矢口半次から異議申立並びに訴願がなされたが、いずれも棄却せられその後行政訴訟の提起もなく、控訴人はこれに対し何ら争訟手続に出ることなく、又右買収処分に対しては、矢口半次も控訴人も何ら異議、訴願、行政訴訟の提起等の争訟手続をなさなかつたことは、当事者間に争のないところであるので、右買収計画の樹立から買収処分にいたる一連の買収手続は出訴期間の経過によりここに形式的に確定し、当然無効でない限り、もはや何人も通常の争訟手続によりその効力を争うことができず、たとえ取り消しうべき行政行為であつたとしても、その取消を求めることができないものというべきである。これはひとり本件買収手続の名宛人であつた矢口半次のみならず、控訴人においても本件買収計画又は買収処分に対しその対象である本件農地の所有者たる旨主張して自作農創設特別措置法第七条に基き異議を申し立て、その他争訟手続に出ることができたのであるから、当然右行政行為の不可争力の効力を受けるものというべく、その名宛人でない故を以て当然本件買収手続の効力が控訴人に及ばないものとなすはあたらない。

しかるところ、控訴人は、本件買収計画、従つて本件買収処分が当然無効の行政行為であつて、控訴人に対し何ら効力を生じないと主張する。よつてその主張の無効原因につき順次その当否を判断する。

(一)第一に、控訴人は、自作農創設特別措置法及びこれが附属法令は憲法第十四条、第二十九条に反する無効の法令であつて、従つてこれに準拠してなされた本件買収手続は当然無効であると主張する。なる程観方によれば右法令は強制的にその所有農地を買収せられる地主に不利にして買改農地の売渡を受ける小作人に有利なる規定多数を含み法の下に平等なるべき地主と小作人とを差別扱いするものであつて憲法第十四条に反するものであり、又買収農地の対価に関する点において少くとも憲法第二十九条に反するものではないかと思われるようである。しかしながら憲法第十四条は、あらゆる場合、あらゆる点で国民全部が絶対に平等であることを要求するものではなく、平等の要請そのものの中におのずから合理的な制限を当然含んでいるのであつて、その制限がどの程度で認められるかは、その差別が合理的なものであるか否かによるほかないと解するを相当とするところ、農地改革が、実質的には憲法の行われる地盤を形成する前憲法的な工作であり、形式的にもそれに対応して連合国管理政策の一環として超憲法的な権力に基いて行われていることに思いをいたすときは、自作農たるべき小作人の保護にあつきにすぎ、この点において地主と多少取扱を異にしているからといつて、直ちに右農地改革のため制定せられた前記法令が憲法第十四条に反する無効のものであるということができず、又対価の点も、法定の基準価額は、農地所有による収益を資本還元として定められたものであつて、小作料の据置と農地の自由処分の制限、さらに農地改革が急速広汎に行われねばならなかつた事情を考え合すときは、右対価は、あるいは完全な補償でないかも知れないけれども少くとも正常な補償であるということをうべく、従つて決して憲法第二十九条に反するものでない(最高裁判所大法廷昭和二十八年十二月二十三日言渡判決参照)。なお、前記農地改革の性格から自作農創設特別措置法及びその附属法令は、たとえ憲法の下における法律政令の形式を以て定められているとしても、その本質は連合国の日本管理法令たる性格を有しているものと解することもできるのであつて、この立場をとるときは、これら法令の内容を憲法の条項と対比してその効力を争うことを許されないものというべく、日本管理の終了した現在においては、特段の理由のない限り一切の日本管理法令はその効力を失つたのであるけれども、本件買収手続は日本占領当時行われたものであり、行政処分が行われた後に行政処分の基盤となつた事実状態ないし適用法令が変動した場合にその行政処分の適否を判断するについては、処分時の状態ないし法令を基準として判断すべきものであるから(最高裁判所第二小法廷昭和二十七年一月二十五日言渡判決参照)、右占領解除の事実は本件に何ら影響を及ぼさないものというべきである。よつて違憲を理由とする控訴人の無効の主張は理由がない。

(二)次に控訴人は、本件農地買収手続(買収計画及び買収処分)は民法第九十条にあたる行為であつて無効であると主張するけれども、同条は私法上の行為ないし法律関係を規律する規定であつて、権力支配作用である本件農地買収手続には適用がないものと解すべきであるから、控訴人の右主張は主張自体理由がないのみならず、後記説明のように、本件農地買収手続が不法に控訴人から本件農地を取り上げることのみを目的としてなした会染村農地委員会の職権濫用行為であることを認めることができない。

なお、控訴人は、本件買収手続は詐欺罪を構成する犯罪行為であると主張するけれども控訴人の証拠によるも右事実を認めることができない。

(三)最後に控訴人は、本件農地買収計画の樹立は会染村農地委員会の職権濫用行為であり、本件買収処分の実施は長野県農地委員会及び長野県知事が右買収計画を鵜呑にした結果であるという。そして会染村農地委員会に職権濫用行為ありといわんがためには、控訴人も自認しているように、単なる手続上の過誤、手落があつたというのみでは足らず、結局本件農地についてはいかなる点からみてもこれを買収する理由のないことを知りながら故意に農地買収に名をかりて控訴人から本件農地を取り上げんとはかつたこと、換言すれば、真面目に農地改革を遂行しようという意図に出たのでなく、農地改革に便乗して農地奪取の野望を達成せんとしたものであること、要するところ、控訴人の提出採用にかかる証拠は勿論本件にあらわれたあらゆる証拠によるも遂に会染村農地委員会がかかる意図の下にその職権を濫用して本件買収計画を定めた事実を認めることができない。否控訴人が本件農地を買収することのできない唯一の理由として主張した昭和十四年一月十日控訴人の父矢口半次が控訴人に対し本件農地を含む合計十一筆この反別合計一町四畝十三歩の農地を譲与したという事実すらも疑わしいのである。なる程控訴人ら提出の乙第一号証の一、二(譲与契約書)成立に争のない乙第二号証の証人松沢喜一、矢口一男の供述記載、同第四十三号証の被告矢口半次の供述記載を綜合すれば右譲与の事実を認めるに足るようである。又、右乙第四十三号証及び成立に争のない乙第十九号証、第二十一号証の一、二、第二十五号証の五、第二十七ないし第三十三号証、第三十四号証の一ないし三、第三十七号証、第三十九ないし第四十二号証、当裁判所の真正に成立したと認める乙第二十九号証の一、二、第二十五号証の一ないし四及び六、第三十八号証を綜合するときは、控訴人は、昭和十七年応召出征し、昭和二十一年一月復員したのであるが、復員後は、控訴人主張のように姉矢口とめ子と共に父半次と別世帯を営み、本件農地その他父半次から譲与をうけたという農地の大半を耕作し、その名において、その生産にかかる米穀甘藷等を供出し、県民税、村民税を納入し、水田調査費、耕地費、木戸費を分担し、かつ昭和二十一年二月二十一日正式に分家届をなした事実を認めることができる。しかしながら、右譲与をうけたという昭和十四年一月十日から右復員まで、果して控訴人が右譲与をうけたという農地に対し所有者としての権利を行使していたかどうかは甚だ疑問であつて、なる程乙第三、第四号証によれば、控訴人応召後は父半次において代つてこれを管理し、小作人台帳も父半次、控訴人各別に調製していた事実が認められるのであるが、その以前において控訴人が自ら使用収益していた事実を認めるに足る証拠なく、控訴人が未成年のため父半次が代つて管理していたものとすれば、何故応召後と同様に控訴人のための小作台帳を調製しておかなかつたのであろうか、又成立に争のない甲第九号証の証人木藤厚子の供述によれば、木藤厚子は、昭和十一年四月十八日父矢口半次の長男矢口敬一郎と婚姻し同十六年四月二十八日離婚したものであるが、右譲与の事実について何ら聞知することなく、又成立に争のない甲第十一号証の証人片瀬治信の供述記載、同第十二号証の証人矢口金作の供述記載、同第十三号証の証人矢口宏佳の供述記載によれば、これらの者はいずれも本件譲与されたという農地の元小作人であり、殊に片瀬治信は本件農地の元小作人であつたが、右譲与の事実を知らず、右につき控訴人並びにその父半次から何ら通告をうけたこともなく、地主は矢口半次であるとして小作をつづけ小作料を支払つていた事実が認められ、さらに乙第一号証の一、二によれば「譲受人宏志昭和十七年適令ニ達シタル時直チニ登記手続ヲ完了ナスコト」なる記載があり、昭和十七年当時は右登記をなすにつき何ら支障制限がなかつたのにかかわらずついにこれが登記をなすにいたらなかつたこと等の事実を考え合すときは、あるいは昭和十四年一月十日控訴人に対し将来分家別居の際には分家料として本件十一筆の農地を譲与する意思ある旨表明し、これが証として、乙第一号証の一、二を作成した事実を認めることができるかも知れないのであるが、その際直ちに右農地を譲与する契約がなされたとは到底認めがたく、乙第三、第四号証も農地買収をまぬがれんがため後日作成したものと疑えば疑える次第であつて、この点に関する乙第四十三号証の被告矢口半次、乙第二号証の証人松沢喜一、矢口一男、成立に争のない甲第十五号証の証人矢口敬一郎の各供述内容はいずれも措信することができず、これをおいて他に右譲与の事実を認めるに足る的確な証拠がない。又昭和二十一年一月復員分家後譲与がなされたものとしても、当時は昭和二十年十二月二十八日公布同年法律第六十四号農地調整法第五条により農地所有権の移転は同法第六条の場合を除き地方長官又は市町村長の認可を受けなければその効力が生じなかつたのであるから、右について特段の主張立証のない本件においては、これにより控訴人が本件十一筆の農地所有権を取得した事実を認みるに由ないのである。してみれば、本件農地は、控訴人主張の理由によつてはこれを買収することができないものということができず、仮に百歩を譲り買収できないものであつたとしても、会染村農地委員会が右事実を知りながら故意に本件買収手続を敢行したと認むべき証拠も徴憑事実もない。すなわち、成立に争のない甲第二十二号証の証人田中和の供述記載によれば、会染村農地委員会は単に登記簿上の所有名義のみに依拠して本件十一筆の農地が矢口半次の所有であり、従つて本件農地は買収しうべきものと認定したのでなく、昭和二十二年一年十四日農林省令第二号農地調査規則の定めるところに従い、登記名義人にかかわりなく実際の所有者を対象として農地の一筆調査を行い、慎重にそれを検討した結果、前記認定に到達した事実が認められるので、たとえ右認定に誤りがあつたとしてもそれがためそのなした本件買収手続を目して同委員会の職権濫用行為であるということはできない。前段認定の控訴人の復員後に生じた諸事実は、たとえそれが控訴人の本件十一筆の農地に対する所有権の行使を臆測させる事実であつたとしても、それがため会染村においては控訴人の応召前から右農地が控訴人の所有であつたことが公知の事実であつたということができず、又当時農地所有権の移転については原則として地方長官又は市町村長の認可を要したことを考慮するときは、同委員会がかかる認可なき復員後の譲与を等閑に付したのは無理からぬところであり、又成立に争のない乙第十三号証の一、二、第十四号証、第十六号証、第十八号証の一、二によれば、会染村農地委員会が矢口半次の所有にかかる会染村神田四三〇〇番地田一反三畝十一歩、同坂下前二九五〇番地田一反四畝七歩、同坂下前二九五一番地田六畝十五歩に対し遡及買収をなすにあたり、名宛人矢口半次に対する昭和二十二年五月三十日附通告書に右坂下前の二筆の地番を二九四九番地田一反四畝七歩、二九五〇番地田六畝十五歩と誤記し、かつその適用法条を自作農創設特別措置法第三条第一項第一号と記載し、又、同年十一月十八日矢口半次の右買収計画に対する異議申立を却下するに際し、その決定書に縦覧期間は真実は同年五月三十日から同年六月九日までであつたのにかかわらず同年五月二十六日から同年六月五日までと記載する等の過誤があつた事実が認められ、又、当裁判所の真正に成立したと認める乙第二十四号証の一、二によれば、昭和二十七年一月二十七日会染村農地委員会長横山嘉一郎名義を以て矢口半次の元小作人片瀬治信外六名に対し「訴訟費援助について」と題する控訴人主張のような趣旨の書面が発せられた事実を認めることができ、又成立に争のない乙第十一号証によれば、控訴人が昭和二十五年三月十七日長野地方裁判所において矢口春実を傷害した旨の公訴事実に対し右証明なしとして無罪の判決言渡をうけた事実が明らかであるけれども、これらの事実否控訴人主張の(四)(2) (イ)(ハ)の事実が全面的に認められたとしても、右(イ)の事実は本件と関係なき他の買収処分に関する事柄であつて、あるいはその買収処分の効力に消長を及ぼすべき事項であるかも知れないが、本件買収処分の効力に何ら影響なく、又(ハ)の事実もこれを本件職権濫用の事実認定の資料に供するにはあまりに縁遠く、いずれも会染村農地委員会の職権濫用の事実を推認する事情となすに足らない。右に反し甲第二十二号証の証人田中和の証言により矢口半次の提出した異議申立書の原本に基いて謄写したものであることの明らかである甲第五号証、成立に争のない乙第十六号証、甲第八号証によれば、矢口半次は本件異議申立又は訴願をなすにあたり本件十一筆の農地譲与の事実については一言もふれていないことが認められ、又成立に争のない甲第六号証によれば、控訴人が昭和二十三年六月二十三日附書面を以てその譲与をうけたという本件農地外三筆の農地につき売渡の請求をなしている事実が明らかであつて、これらの事実は同委員会に控訴人主張のような職権濫用の行為のなかつた一証左となすに足るものであろう。よつて職権濫用を理由とする控訴人の無効の主張は理由なしとして排斥する。

以上の次第で、控訴人の無効原因として主張するところは一も理由がないので、本件農地買収処分により被控訴人の所有に帰したものと認めるのほかなく、控訴人はもはやその所有権を主強して本件買収処分の効力を争うことができず、所有権以外他に本件農地を占有耕作するにつき正当の権原あることは控訴人の何ら主張立証しないところであるので、その占有は何ら正権原に基かない不法のものであるとなすのほかなく、従つて控訴人に対し所有権に基きその占有にかかる本件農地の明渡を求める被控訴人の本訴請求は正当であつて、これを認容した原判決は正当であり、控訴人の控訴は理由がないので、民事訴訟法第三百八十四条第九十五条第八十九条を適用して主文のとおり判決した。

(裁判長判事 大江保直 判事 岡咲恕一 判事 猪俣幸一)

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